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【宮沢賢治】雨ニモ負ケズは詩ではなかった?賢治の足跡と作品の世界観に迫る!

コージリ
有り難うございます!
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。

あなたは「宮沢賢治」をご存知でしょうか?

でも、「雨二モ負ケズ風ニモ負ケズ…」と言うフレーズを聞けば、思い出す人も多いのではないでしょうか!

実は、通常は「詩」といわれているこの「雨二モ負ケズ…」は、賢治の死後、彼の背広の内ポケットから出てき「手帳に書き残されていた、メモ書きだった」といわれています。

そのメモの内容は、彼が崇拝した仏教の経典である法華経の心が表現されています。

そこで今回は、宮沢賢治の足跡と宮澤文学の世界観に迫ってみたいと思います。

 

宮沢賢治のエピソードとその生涯とは…

宮沢賢治は、その名前は知らなくても、「雨二モ負ケズ」というフレーズだけは知っていると、誰でも言うような国民的詩人です。

なぜなら、昭和の後半に少年時代を過ごした国民の約7割は、国語の教科書でみんなこの詩を習っているからです。

宮沢賢治は、明治29年8月27日、岩手県花巻市に、地元で商店を営む一家の2男1女の長男として生まれました。

高等農学校を(現岩手大学農学部)を優秀な成績で卒業し、一度は県立花巻農学校の教員として教壇に立ちました。

心優しい性格の賢治は、周りの貧しい暮らしをしている人々への共感と慈悲といたわりの心を常に持ちながらも、自分自身は裕福な家に生まれ、何不自由なく生きていることへのギャップに苛まれ続けました。

その思いは終生、賢治の心の葛藤となっていったようです。

長男ということもあって、賢治を跡取りと決めていた父親の「商人には学問はいらん!」という方針で、悶々と店番を手伝っていた頃、ある書物との出会いで賢治の人生に変化が現れます。

その書物とは、「漢和対照妙法蓮華経」という仏教の経典の和訳本で、賢治はこれに深く感動し、たちまち熱烈な法華経信奉者になっていきました。

この法華経の深遠な教えは、後々の賢治の作品の中に、作風として色濃く表現されています。

ある時、賢治は先輩から文学によって仏教の真理を表現することも信仰の一つだ、というアドバイスを受け、それから半年間、下宿にこもって猛烈な勢いで童話の草稿を書き続けました。

一時は、一か月で三千枚もの童話の草稿を書き上げたこともあったようです。

賢治の代表作
銀河鉄道999(スリーナイン)のモデルとなった、「銀河鉄道の夜」「注文多い料理店」「風の又三郎」「春と修羅」、今回ご紹介する詩「雨二モ負ケズ…」等があります。

しかし、生前の賢治は全くの無名作家で、アマチュア同然だったようです。

賢治の評価が急速に高まったのは、今回ご紹介する手帳のメモ書きの状態で発見された詩、「雨にも負けず…」の発表以降だとされています。

賢治は亡くなるまでに二度の肋膜炎(ろくまくえん)を患いました。

そして二度目の肋膜炎が引き金になり、重篤な病状になっていきました。

遺言として息を引き取る際には、法華経の注釈版を1000部印刷して知己の人に無償で配ることを父親に託し、その遺志は見事に実践されたのでした。

こうして賢治は、昭和8年9月21日、37歳という若さで、その生涯を閉じます。

それは、生涯独身を貫き通した英才の、あまりにも短かい生涯でした。

 

法華経の求道者・宮沢賢治の仏教的世界観

賢治が信奉した法華経は、仏様(釈尊)が晩年に真の平和と平等を説いた「経典」です。

法華経とは
あらゆる思想や宗教は、ただ一つの法から生まれたと説いて、人類を分化と対立から解き放ち、一つの真理へと導く壮大な思想を説いている仏様の最後の説法です。

他者と関わりながら生きるのが菩薩であり、たとえ人に馬鹿にされ、なじられようとも、決して臆せず前進し続けるのが菩薩の使命だ。

という趣旨の教えが込められています。

この他者救済の理念に満ちた思想に、賢治は深く共鳴したと言われています。

この法華経において特筆すべきは、賢治が生涯にわたって体現し見習おうとした「常不軽菩薩」の姿です。

法華経の第20章に、この「常不軽菩薩」のことを説明している章があります。

常不軽菩薩には、読んで字のごとく「常に人を軽ろんじない」という意味があります。

この常不軽菩薩は、町に出ては行きかう人々に常に合掌をして、

不軽菩薩
私はあなた方を常に敬い、決して軽んじません。

なぜならばあなた方は皆、菩薩業を積み、将来きっと仏になる方々だからです!

と礼拝をした菩薩です。

このために、みんなからは煙たがれ、そしられ、嫌がられ、棒で叩かれたり、石を投げつけられたり、たくさんの迫害を受けらました…。

それでもこの常不軽菩薩は、決してこの合掌礼拝をやめようとはしませんでした

賢治が目指したのは、まさにこの常不軽菩薩の精神であり、生き方だったようです。

 

常不軽菩薩の精神を体現している宮沢賢治の作風

賢治は、自らの文学を「法華文学」と評しています。

それだけに賢治の作品には、法華経の教えのエッセンスが凝縮されています。

それは不軽菩薩に代表される、他者を軽んじない思いやり、慈悲の想い、敬愛の精神です。

賢治の作風は、まさに文学を通して前述の常不軽菩薩の精神を貫き、法華経の伝道師として役割を全うした文学だったのではないでしょうか!

今回ご紹介する「雨二モ負ケズ…」の詩は、この常不軽菩薩の精神を文章で見事に体現している文体になっています。

どんな困難があっても、まっすぐにまず他者と向き合い、他者を思いやり、励まし、いたわり、そして、木偶の坊と呼ばれようとも決してあきらめない慈悲の心と決定心が表現されている詩です。
※決定心の詳細はこちらの記事で解説しています。

宮澤賢治
そういうものに私はなりたい!

常不軽菩薩の精神を目標に生きるこの姿勢、この思い、この叫びこそが、多くの賢治ファンの共感を呼んでいるのではないでしょうか!

雨二モ負ケズ…を声に出して読んでみよう!

それでは、常不軽菩薩の精神を見事に書き表した有名なあの詩…。

いや、愛用の背広から出てきた手帳に書き留められ、まるで前後が詩のようにつながって構成されている、あの秀逸な「メモ(文章)」をご紹介します。

あなたもぜひ、一緒に声に出して読んでみましょう!

雨ニモ負ケズ
風ニモ負ケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケヌ
丈夫ナ体ヲ持チ

欲ハナク
決シテ怒ラズ
イツモ静カニ笑ッテイル

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ

アラユルコトヲ
自分ヲ勘定ニ入レズニ

ヨク見聞キシ解リ
ソシテ忘レズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナカヤブキノ小屋ニイテ

東ニ病気ノ子供アレバ
行ッテ看病ヲシテヤリ

西ニ疲レタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負イ

南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテ怖ガラナクテモイイト言イ

北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ
ツマラナイカラヤメロト言イ

日照リノトキハ涙ヲナガシ
寒サノ夏ハオロオロ歩キ

ミンナニデクノボー(※木偶の坊)ト呼バレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

ソウイウ者ニ
私ハナリタイ

 

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

※木偶の坊:役の立たない者や、気の利かない人を罵(ののしって)って言う言葉。

コージリ
そういうものに私もなりたい!

最後までお読みいただき有り難うございました。

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