ところであなたは、欲張りな方ですか?
それとも、控えめな方ですか?
仏教の教えに、『少欲知足(しょうよくちそく)』という言葉があります。
実は、この教えの意味を知って実践することで、人間関係に悩むことが少なくなるということを、ご存知でしょうか?!
なぜなら、仏教で戒められている『煩悩』を減らすことで、ストレスを抱え込まず健康的な日々を送れるようになるからです!
少欲知足は、漢文的に返り点をつけて読むと高校生でも、その意味が分かるような四字熟語です。
ところで、仏教の少欲知足の教えには、どう意味が込められているのでしょうか?!
少欲知足の道理がわかれば、少欲知足でなぜ、人間関係を好転させることができるのかが理解できるはずです。
それでは、仏教マーケティングで導かれる少欲知足の秘密を探っていきましょう。
少欲知足とは
「少欲知足(しょうよくちそく)」とは、仏教用語で『欲を少なくして足ることを知れ』という意味です。
冒頭でも言いましたが、返り点(レ点)を「少」と「欲」の間、「知」と「足」の間に打つことで、端的にその意味を理解することができます。
「少欲知足」は、欲は少なくして、ほどほどにしておかないと、後々苦しみを味わうことになる、という戒めの教えです。
また仏様は、我々一切の衆生のことを、「貪(とん)、瞋(じん)、痴(ち)」という克服すべき三つの煩悩を持っている「三毒強情の荒凡夫」だと戒められています。
少欲知足を理解するとどうなる?
人は生まれながらにして、多くの煩悩、欲求を持っています。
五欲は言うに及ばず、承認欲、自己実現欲、社会的欲等…。
また「二兎を追うものは一兎も得ず」という諺(ことわざ)があるように、私たちは一つだけでは事足らず、つい多くのことを欲張ってしまうものです。
そして、収入や暮らしの色んなシーンにおいても、知らず知らずのうちに、つい人と比べる癖があります。
私の方が仕事は出来るのに、どうしてあの人の方が早く出世するのか。
こんな狭くてボロいアパートより、あんなキレイなマンションに住みたい…等々。
この不足という念こそが、先ほどの三毒『貪(とん)瞋(じん)痴(ち)』という感情です。
欲が多いと、それだけでストレスの原因にもなりますし、全身のエネルギーを使い果たし、ヘトヘトになるからですね…。
ですから、何事もほどほどにという気持ちの余裕が必要です。
そこで私の、
少欲知足を人間関係に展開しよう!
それでは、少欲知足を人間関係に展開するとどうなるのか考えてみましょう。
人は誰しも、「色眼鏡」をかかけて世間を見ているのではないでしょうか。 ●他人のだらしないところが気になる などのような、「~すべきである」、「~ねばならない」という考え方や生き方です。 このように、人は他人や自分に対して欠けている部分、足りない部分につい目がいってしまいます。欠けたところでなく、足りたところで幸せを感じることが大切だ、ということです。 これは、心理学で『ゲシュタルト療法』といいます。 ●笑われたらどうしよう…。 などの、不安や恐怖に打ち勝つためには、まず行動することだという考え方です。 ですかから、「キライだ」「イヤだ」という感情のフレームを、一旦はずして見ることも大切かと思います。
●部下の足りない所にしか目がいかない上司
●先生に完璧を求める保護者
ですから固定観念を取り外し、受け止め方を変えてみるということも大事です。
そして、あるがままの感情や事態を受け入れるということも大切です。
●無視されたらどうしよう…。
●失敗したらどうしよう…。
「行動の前進」こそ、不安や恐怖を克服する方法だというのです。
これが心理学でいう『森田療法』です。
※ゲシュタルトについては、下記の記事で詳細を解説しています。
少欲知足の思考で人間関係改善の道は開ける!
私が学生の時に読んだ、今でも愛読書でもあるD・カーネギ-の「道は開ける」の、小欲知足にマッチした一説をご紹介します。
「靴がないとてベソかいた、両足もがれたその人に通りで出会う以前なら…。」
カーネギ-は幼少時代、自分がどんなに恵まれているか、身体に障害をもった人に出会って初めて気づいたということですね…。
このように「~がない」のではなく「~がある!」、だから幸せ、というふうに考える癖を持つことが、世知辛い現代を生き抜いていくうえでは大切だと思います。
私は人生を生き抜いていく上で『引き算ではなく、足し算で思考することが、人間関係を好転させるきっかけになる』と信じています。
是非あなたにも、足りていることをもっと実感して頂き、そのことに感謝して毎日を充実したものにしていかれることをおすすめします!
最後までお読みいただき、有り難うございました。
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。