名付けて「エッセー・仏教マーケティング的こころ」。
人生は挑戦の連続
私たち人間の日常は多種多様で、みんなが同じところを目指しているわけではありません。しかし、誰もが常に何かに向かって、挑戦して生きているのではないでしょうか?
壁を突破し、閉ざされた扉を開くために!そして、実り多い、価値ある人生を手に入れるために…。
私はこうして生きていること自体が、既に挑戦しているのではないかと感じています。命の続く限り…。
仏教は人生の壁を突破するカンフル剤
私は仏教の教えを、人間関係やビジネスを好転させるマーケティングとして捉え、このサイトを開設しました。仏教の教えは、人生を良く生きていくための「心の有り方を鍛える修行」だとも捉えています。
そして、仏教の教えをベースにして挑戦していくことで、必ず道は開かれるのではないか、そう信じています。仏教の教えは人生の壁を突破する勇気と希望を与えてくれるカンフル剤であると…。
今回は以前、ある出版社の企画でオファーを受け、オムニバス形式で出版された本に投稿した「挑戦」というテーマのエッセーを公開します。
10年以上前に書いた、私と聴覚障害をもって生を受けた息子との夢を実現するための決意表明的エッセーです。
私が退路を断って、第二の人生として起業するきっかけになったテーマをもとに書いています。今の私の情熱の礎になり、障害の壁を突破しようという原動力となったテーマです。
題して、『夢遥か、父子の挑戦』
では、ご笑覧ください…。
夢遥か、父子の挑戦
ここは硬式野球シニアリーグの試合会場。補聴器をつけた少年が、マウンド上で大きく振りかぶり、力強く第一球を投じた。
「ストライーク!」アンパイヤの威勢のいい声が響きわたった。
「オオーッ」と言う歓声のあと、「ナイスピー、ナイスピーその調子、その調子!」
味方ベンチからの力強い檄が飛ぶ。我が家の一人息子の勇姿がそこにあった。13年前、お釈迦様の誕生日というおめでたき日に、耳に大きなハンディを背負って生まれてきたお前。
思えば失意のどん底からのスタートだった。親子三人、紆余曲折。よくぞ今日まで頑張ってこれたよな。
これもお前の底抜けに明るい性格と、障害を意識させない横着な態度のお蔭かもしれない。
「ぼくは大きくなったら、ぜったいにプロ野球の選手になりたいです」
小学3年生のとき書いた、お前の作文の一説だ。
「望むところだ。やったろ-じゃないか」
親としての思い、そして世間への挑戦だった。
意気に感じて、お前の通う聾学校に地域の健常な子供たちとの統合教育の場として野球チームを作った。そこでお前が培ったのは楽しく協調しながら学ぶ野球。そして今、第二ステージ。そこは甘えの許されない厳しさの中で、心を磨く感謝の野球だ。
俺とお前の共通の夢、来るべき第三ステージ甲子園出場。そして最終ステージ、プロ野球選手。
聾学校からの普通高校への道は険しい。まして野球を通じた進学は今のところ、例は少ない。だけど、大丈夫。お前の豪腕と俺の行動力で難関突破を目指そうじゃないか。
“夢遥か、父子の思いのその先に、仏の慈悲ぞ、顕れにける”
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。