衣裏宝珠の喩えは潜在的に持っている仏性に気づかせてくれる

珠玉の仏教説話

今回ご紹介するのは、法華七喩(ほっけしちゆ)といって、法華経で説かれる7つのたとえ話の内の一つである『衣裏宝珠の喩え』です。この説話は、仏様から授記を受けた高僧が、その席上で感謝の気持ちとして仏様に言ったという喩え話が基になっています。

衣裏は「衣の裏」、宝珠は「宝の玉、欲しい物が思いのままに出せるという玉」という意味です。さて、この「衣裏宝珠の喩え」が意味するところは一体何なのでしょうか?!

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宝珠の喩えとは

ある日、その町一番の長者とその親友が、何年ぶりかにばったりと再会しました。しかし、久し振りに見る親友の姿は、身なりもみすぼらしい恰好をしていました。そして長者は、親友との再会を大変喜び、家に招き入れて厚くもてなしました。

昔話に花を咲かせ、ほろ酔い気分になった長者の親友は、そのまま眠り込んでしまいました。
あくる日の朝、急用で遠いところに行かなければならなくなった長者は、眠っている親友の
衣裏に宝珠を縫い付けて旅にでかけて行きました。

長者が親友の衣裏に縫い付けた宝珠は、どんな願いでも叶い、どんな病気も治り、何でもかなう不思議な宝の玉でした。長者が家を去って間もなくして、長者の親友は目を覚ました。いなくなったのを悟った親友は、自らもまた放浪の旅に出ていきました。

数年後、長者とその親友は町でまた再会しました。長者は親友が前にも増して、みすぼらしい恰好をしているのを嘆いて言いました。

「お前はどうなってしまったのだ…?何でも願いが叶うという宝の玉が、お前の衣裏に縫い付けてあるのに、どうして気づかなかったのだ…?」

そして、「その今も元通りあるはずだ。それを売れば大変な金が手に入るのだ。それをお前は何も知らないで、自分で苦しんでわずかな生活費を得ていたのか…。今まで気づかないで放浪していたとは、なんと愚かなことではないか…。」

「今すぐ、着物の裏の宝珠をとりだして売り払い、好きなものを買ったらよい。そうすればいつも思うままの生活ができて、不自由なことは全くなくなるぞ」と言ったというお話しです。

宝珠の喩えの解説

この説話で出てくる宝珠とは「仏性」のことです。長者とはお釈迦様。その親友とは私達凡夫なのです。

「仏性」とは、仏の性質や仏になり得る可能性の事で、大乗仏教独特の教えです。このお話では、全ての人に仏性が備わっているということに「気づく」ことの大切さを教えてくれているのです。なぜなら「仏性」は、気づかないと輝かないからです。

この説話では、酔って眠っていなければ、当然気がつくはずだった宝珠に気づかなかった
という場面が語られています。

それと同じように、私たちの心には仏性という素晴らしい宝があるにもかかわらず、目が曇っているために、それが見ず、そのため一生を空しく過ごしてしまうのだ、と諭されています。

仏教の考えでは、仏性に気づいてそれを自在に発揮することで、自らの苦しみを解放させることができ、他のすべての生命をも救っていくことが出来ると教えています。たとえ、自分自身に煩悩という愚かな欲や悩み苦しみが残っていても、です…。

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人生という仏道修行は自分の仏性に気づく旅

究極、仏教を修行する上での大きな目標は、仏性を活かして「成仏」という果報を頂くこととされています。でも私たち凡夫は、そのほとんどが自分に仏性があるということなどに関心もなければ、仏性が潜在的にあることにさえ気づいていないのではないでしょうか?

「仏性に気づき、仏様の慈悲心を以てその宝を磨くことで、人生が光り輝き、より実の多い幸福な人生に.なっていくのだ」仏様はそう教えて頂いているだと思います。

今回ご紹介した「宝珠の喩え」のお話しは、仏性という有り難い大事なものを、潜在的に持っているにも関わらず、私たち凡夫がそれに気づいていなことへの警鐘、と捉えることができるのではないでしょうか?!

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