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【三界火宅のたとえ】苦悩する私たち衆生を救うために仏様がとった行動とは…

コージリ
有り難うございます!
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。

あなたは、 仏教説話の『三界火宅のたとえ』のお話をご存知でしょうか?

『三界火宅のたとえ』は、苦悩の絶えない私たち凡夫の世界を、火炎の燃え盛る居宅にたとえた仏教説話です。

このお話は、法華経の譬喩品(ひゆほん)に説かれています。

それでは、『三界火宅のたとえ』を公開します。

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私たちは煩悩の炎の中で生きている

昔々ある村に、年を取った一人の長者がいました。長者の家はとても大きく、高く、広く、長者はその家でたくさんの子供たちと暮らしていました。

長者はしばらく家をでて、子供たちに留守を頼んで遠くに行っていました。

長者が旅を終えて家に帰ると、あろうことか大きな屋敷は大火によって炎に包まれていました。

「大変だ…、このままでは多くの子供たちが焼け死んでしまう!」

長者は、大火で燃え盛る炎の家の中に飛び込んでいきました。

火事とは知らずに、家の中では、たくさんの子供たちは愚かにも走り回っていました。

このままでは、今にも火に焼かれ死んでしまうかもしれません…。

「お前たち、早く出ておいで!」長者は叫びました。

けれど、遊びに夢中になっている子供たちは、火事だという長者の声が届いていないようでした。

 

煩悩の炎の中私たちを救う仏様の方便の手立て

長者は一計を案じました。方便を用いて子供たちを外へ出すことを思いついたのです。

子供たちは珍しいおもちゃが大好きです。そこで長者は、子供たちに向かって再び叫びました。

「お前たちが喜ぶ素晴らしいおもちゃがあるよ。

それはお前たちが欲しがっていたおもちゃだよ。

たくさんの種類のものがあるよ。

たとえば山羊の車鹿の車牛の車が門の外にあるよ。

お前たちが遊ぶために置いてあるのだから、早く家から走り出ておいで。

お前たちが欲しいものを、どれでもあげるから~!」と。

すると子どもたちは、この乗り物のことを聞いて、ぱっと遊ぶのをやめて我さきにと、一目散に門の外へと走り出してきました。

こうして子どもたちは、やっと燃えさかる火の家から出てきたのでした。

長者は、子どもたちが怪我もなく外へ出てきたので、心の底から安堵しました。

子どもたちは、すかさず長者が用意しているといった『おもちゃ』をおねだりしました。

すると長者は、約束の『おもちゃ』である、羊の車、鹿の車、牛の車よりもっと高価な、大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えました。

その車は大きくあらゆる飾りをつけ、まわりには欄干があり、鈴が付けられ、中には敷物が敷かれ、その車を引く牛は真っ白で美しく、早く走り、大勢の従者がその牛を引いています。

 

仏様は常に私たち凡夫を見守ってくれている

ところで、長者はなぜ、こんな立派な車を子供たちに与えたのでしょうか…?

この長者には財産がたくさんあって、たくさんの蔵にはものが充満しています。

そして、長者こう思ったのです。

自分には多くの財産があるのだから、子供が欲しいというときには、みな平等に可愛がらなければならない。

自分は、たくさんの七宝(しっぽう)の大車を持っている。

だから一切差別なく皆に与えるべきだ、と。

無事火事から逃れた子供たちは、長者が用意した白い牛が引く大きな牛車に乗ることができました。

子供たちはみな満面の笑顔で大喜びです。

なぜなら、本来希望していた車よりずっとずっと素晴らしい車に乗ることができたからにはかなりません。

こうして子どもたちは、この上ない喜びで心が一杯になりました。

というお話でした…。

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三界火宅のたとえの解説・まとめ

さて、この説話が示している意味とはどういうことなのでしょうか?!

三界とは、欲界・色界・無色界の三つの世界を言います。

これは私たち人間の心が移り変わって止まることを知らないこと、煩悩の炎が燃え盛る世界のことを表わしています。

火宅とは、煩悩 (ぼんのう) や苦しみに満ちたこの世を、火炎に包まれた家にたとえた言葉です。

現世、娑婆 (しゃば)のことも言います。

そういえば、某作家の作品に「火宅の人」という小説がありましたね?
登場人物の種明かし

説話の中に出てくる、長者はもちろん仏様です。

そして子どもたちは私たち衆生です。

羊の車声聞(しょうもん)を意味し、鹿の車縁覚(えんがく)の悟り。

牛の車菩薩(ぼさつ)の悟りです。

この声聞・縁覚・菩薩をあわせて、三乗(さんじょう)と言います。

そして、大白牛車(だいびゃくごしゃ)こそ、仏様の貴い教えであり悟りなのです。

※声聞・縁覚:釈尊の教えを忠実に実行はするが,自己の悟りのみを追求する出家修行者。

 菩薩:自ら菩提(ぼだい)を求める一方、衆生を導き、仏道を成就させようとする行者。

 

小乗とは声聞・縁覚をさしていて、小さな乗り物のことです。

これに対して、大乗とは大きな乗り物を言い、自分だけではなく他人も救おうとする教えを言います。

この説話をまとめると、人は皆、火事という煩悩の炎の中で、娑婆世界という大きな家に住んで生きていて、この火事に気付いていない住人なのだということです。

そんな私たち衆生を、親である仏様は常になんとかして救い出そうとしています。

その仏様の寛大な慈悲の心こそが大乗の教えです

ですから、煩悩から私たち人間を救うのが大乗の教えに他ならならないとことを『三界火宅のたとえ』のお話しは伝えたかったのですね…。

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