現代人は、時間に追われる生活を送っているといわれています。
サリーマンも、主婦も、学生も、そして子供たちにおいても…。
あなたも時計ばかり気にして、バタバタと忙しい毎日を送っていませんか?!
人生には、急いだことが災いになって、危険なことに遭遇してしまうことが多々あります。
「急がば回れ」ということわざがあります。
安全に確実に事を進めるには、ちょっとやそっと遠回りでもあせらずじっくりやる方が得策だということです。
猪突猛進ガンガン突き進むよりも、やるだけのことはやって「待ってみる」ことだって必要なのです!
そして、人生において待つということは、物事を成就するためにとても必要な要素でもあります。
そこで今回は、「待つこと」にフォーカスして、人間関係に生かす方法を探っていきたいと思います。
待つことの意味とは
人や時が来るのを予定し、それまでの時間を過ごしたり、願い事を案じながら準備する様を「待つ」と表現します。
多くの人は「これだけやったから必ずこうなる」と期待し、思い続けるものです。
それは当然必要なことですが、結果が出るまでの間に、絶え間なく継続して努力することは、もっと必要です。
一昔前(今では相当昔になってしまいましたが…)までは、相手に手紙を出したり、物を送ったりするにも、一定の期間が必要でした。
今はメールやライン、SNS、宅急便など、通信手段・交通手段の発達で待たなくても即座に返事が返ってきたり、1~2日で物も相手に届けることができるようになりました。
うっかり返信を遅らせようものなら
物が届いたなら
まさに、物を長い目で見る余裕がなくなった、といっても言い過ぎではないでしょう。
だからこそ、「待つ」という心の余裕、ゆとりを持つことが大事な時代になってきたといえるのかもしれません。
車を運転するにも、アクセルを踏みっ放しではいずれどこかにぶつかって、痛い目にあってしまいますよね。
だから、あせって突っ走るだけではなく、「心」にブレーキをかけることも必要だということです。
総括すると「待つことの大事」とは、希望と忍耐をもって未来に向かう持続的な努力、期待し待ちわびながらも努力する。
そこに明るい希望がある、ということではないでしょうか。
待つことの意味を感得すればどうなるのか?
では、なぜ「待つこと」が必要なのでしょうか?
あせって物事を片付けようとするときほど、なにか大事なものが抜け落ちていたり、失敗したりすることが多いものです。
精神衛生的にもあせりは禁物とよく言われます。
今は最低と思える時期であっても、期待し待ちわびながらも努力するところに、明るい展望がみえてくるのではないでしょうか。
「果報は寝て待て」「人事を尽くして天命を待つ」「待てば海路の日和あり」等、私たちがよく使うことわざの中にも、その真実が隠されているようにも感じます。
待つことの意味を感得して人間関係に展開する
高い所から見おろすことを「俯瞰(ふかん)する」といいます。
私はこれをちょうど幽体離脱して、上から自分や周りの人や状態をみている状態というふうにとらえることにしています。
実際に、幽体離脱した経験はないのですが…。
今の悩みや苦しみは、人生において本の1ページに過ぎないと俯瞰して考えることができればしめたものなのですが…。
若い頃は目先のことにとらわれて、なかなか俯瞰して感じたりすることができないのではないでしょうか。
それでは、「待つことの大事」を感得して、どうやって人間関係に展開していけばいいのか考えてみましょう。
最もおすすめなのは、辛い時こそ日記を書くということです。
いわゆる「※臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の日記」です。
そうすることで、1週間前と今の自分、1ヶ月前と今の自分がしっかりと確認でき、解決できたことや今後の行動目標などが、さらに明確になります。
過去はあくまでも未来への糧としてのカンフル剤です。1日でも若い(早い)うちに、いろいろと経験し、未来へ活かすという考えを持つことが大切だと思います。
※臥薪嘗胆:将来の成功を期して長い間つらく苦しい思いをすること。
待つことの意味を感得して時間を味方につけよう!
人生経験が長くなればなるほど、受験、恋愛、仕事等、若いときの失敗などを振り返って、悩んでいたことがちっぽけな出来事として感じられるようになります。
あなたが、もしも思い悩むことがあって今を嘆いていたとしても、冬の時代は知らない間に終わって温かい春が必ずやってきます。
まさに「冬来たりなば、春遠からじ」です。
そこで最後に、文中でご紹介した下記のことわざの解説をして、このテーマを終わりにしたいと思います。
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。