私は起業を念頭にサラリーマンとしての退路を断つまでに、2回のパワハラを経験しました。
経験したというよりは、今となっては
と思う程に、その印象は薄らいでいます。
「それは何故か…?!」
それは、パワハラという障壁を短期間に取り除き、最終的には自分自身を優位に導いていったという、自負の方が勝っていたからではないかと感じています。
そこで今回は、私コージリがサラリーマン時代に受けていた、パワハラ現場での体験談をお話しようと思います。
会社でも指折りのクソッタレ上司との遭遇
大学卒業後、私は某大手通信企業に入社しました。
最初は広報の仕事をしていたのですが、会社自体の改変期ということも相まって、数年後営業の第一線で活躍できる場を経験することになりました。
そこには口うるさいと社内でも有名な、クソッタレ上司のA氏が待ち受けていたのです。
その部署は、それまでのように土日祝が休みというのではなく平日・土日祝日関係なく「1日2交代制」の勤務体制になっていました。
配転後間もない頃、私は転属以前から招待されていた先輩の結婚式があり、あいにく勤務日に当たった日曜日の休暇願いをそのA上司に申請しました。
ところが、その上司から言われたことは、
ということでした。
私は、その理不尽で強制的な言葉に、正直びっくりしました。
「有給休暇」は労働上の権利として与えられているものだし、その日は特に人手が足りないというわけではなかったのです。
私は結局、その先輩の結婚式に出席することができませんでした。
その後も、会社の組合からのサービス残業のチェックが厳しい中、定刻が来ても帰れない雰囲気…。
仕事の管理は部下に任せっぱなしで、自分は定刻にはさっさと帰る。
また、部下を飲みに誘っておきながら「お前払っとけ」と部下に命令し、自分の分さえも絶対にお金を出さないというケチ。
当時の私は、そんな A氏の理不尽な言動に付き合っていかなければなりませんでした。
そのころ、私は家内と付き合っていたのですが、彼女が回想するには
と思っていたということでした(苦笑)。
組合という圧力に屈したクソッタレ上司
そんな頃、以前の部署の後輩が労働組合の役員をしていて、飲み会に誘われた折にA氏の悪態に対する愚痴をこぼしたことがありました。
彼は、それは組合の立場からほっとけないので、組合の上層部に報告するということでした。
私はなるべくなら穏便に済ませたかったのですが、自分自身にも許せないという思いが強かったのでしょう、成り行きに任せて「よろしく頼む」と言ってしまいました。
それで、どうなったか…。
その後、組合がすぐに対応したということが一発でわかるくらい、その上司の態度が豹変したのです。
私のいた会社は労使対等の立場で、どちらかと言うとその当時は、組合の力の方が強かった印象があます。
それからというもの、そのA上司は「なんで自分に正直に話さなかった」などの泣き言は言わなかったものの、明らかに私にだけ「残業はしなくていいから、時間がきたら帰れ」とか、労働協約のガイドラインに触れそうな部分には神経を尖らせるようになっていきました。
ただそれが原因で私自身の立場が、人事考課面でマイナスになったことは事実だったと思います。
ネアカモード全開で職場の人間関係も好転した話
今振り返ると、A上司と対峙した職場での人間関係は、あまり円満ではなかったように思い出されます。
新しい部署で、仕事内容がまだよくわからないということもありますが、職場内で態度がよそよそしかったり、職場の雰囲気になじめなかったりという感触が、私自身の中にあったことは事実です。
ただ、そんな職場での関わり方も自分自身のネクラ・ネアカ共存タイプの気分屋の性格から『ネアカモード』にスイッチを切り替えた日々を送ることで、営業業務のスキルアップとともに、その悩みが解消していきました。
社員旅行やレクレーションでも
と、その職場の先輩に言われたり
と感心されたり、すっかり1年ぐらいで、その職場のなかに溶け込んでいくことができるようになって行きました。
自分自身の名誉のために、こういう明るい材料も付け加えておきます!(笑)
今回は、理不尽な言動で自己主張をするAパワハラ上司との葛藤をカミングアウトしましたが、いかがだったでしょうか?
次回は、私コージリが起業を念頭に退路を断つことを決心した時期に体験した、叱責タイプのB上司とのパワハラ体験をご紹介します。
最後までお読みいただき有り難うございました。
仏教マーケティング・アドバイザーのコージリです。