葬儀に思うビジネスでの信頼関係と集客

人間関係&ビジネスを語る
仏教マーケティング的こころ:人間関係・ビジネス編

思いのままに、ビジネスや人間関係に関する気づきや経験等を、徒然(つれづれ)に書き綴っていきます。名付けて「エッセー・仏教マーケティング的こころ」。

今回のテーマは、「葬儀とビジネスにおける信頼関係」

先日、息子の中学野球(硬式シニアリーグ)の恩師でもある、M監督の訃報が届きました。
喉頭がんで余命いくばくもないという噂も、息子の野球を通じたネットワークで聞いていたことでもあったのですが…。

前々から、もしもの時があったら球団葬をするとのお触れもあったので、もしものことがあったら親子三人で弔問に行こうと考えていた矢先の出来事でした。

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葬儀にビジネスにおけるマーケティングを考える

元来が頑固親父で、弱みを見せたくなかったのでしょう…。お見舞いも直近の一部の人を除いて、断固として面会謝絶だったようです。

そして、息子のネットワークを通じて告知された日時のお通夜に家族三人で弔問しました。その日まではお天気続きで、今年は空梅雨か?という心配されていた当地だったのですが、

道中、今までが嘘かと思うような大雨どしゃ降り状態になり、これを「涙雨」というのかな…、とさえ感じさせる天気の急変でした。

通夜・葬儀の場所は、「〇〇社」という当地でも名の知れた大きな葬儀場で、たくさんの弔問客を見越してホールをいくつも貸し切っての大入り満席…?のすし詰め状態でした。これも、故人の功績と人望の為せるワザなのかもしれないな…、とふと思った私です。

そしてこのとき、マーケッターとして、感じたことがあったので、今回はそれをテーマに書いていこうと思います。葬儀の場でマーケティングを発想するとはいささか不謹慎ではあるのですが(苦笑)。題して、「葬儀の弔問客にマーケティングを考える」…です。

葬儀の弔問客にマーケティングでの集客をみた

前述のように、私たちは訃報を受けとる以前に息子のネットワークを通じて、監督の現状ともしもの時の詳細のお触れが既にまわっていました。そこで、今回のM監督の葬儀にみたマーケティングの流れは下記のように分析しました。

<広告(イベント告知)>
もしもの時の事前の根回し。葬儀を球団葬とするということ。各自思い出の写真があれば球団事務所宛に送ってほしい等の呼びかけがあった。
<集客>
在部生・卒部生のリストをもとに、保護者OBや卒部生のネットワークを通じた訃報の周知(ラインやツイッターなど)徹底。
<成果・実績>
歴代の(これまでの30期)卒部生や保護者、リーグ関係者等が延べ400人以上弔問に参集した。
※息子の代まではいなかったのですが、最近では何人かプロ野球選手も輩出されたようで、某パリーグ球団の選手から贈られた大きな献花が飾られていました!

ところで、M監督の葬儀に際し、これほどまでに球団側が手を尽くし、またたくさんの球団OBや保護者に参列したいと思わせた要因はなんだと思いますか?!

 

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葬儀の弔問客数にビジネスでの信頼関係との関係性を思う

M監督は元来が野球バカで頑固親父。妻子とも別れ、生涯孤独を貫いた生涯でした。言葉も荒く子供たちに鉄拳や蹴りをとばして、保護者との軋轢が決してなかったとは言えない状態でした。それはもちろん、私の息子も例外ではありませんでした。

これはビジネスでも大事な要素なのですが、顧客との信頼関係があって商談が成立し、商品が売れるというプロセスがあります。

商品やサービスを提供する側は、その価値の提供が十分にできているか…?安心して使ってもらえる商品やサービスか…?それを追及することが求められます。

なので、ビジネスが好転する要素として、この「信頼関係」は必要十分条件になります。M監督の場合、保護者との十分な信頼関係があったかというと、そうだと断言するところまではいかないかもしれません…。

でも私自身は、M監督の野球に対する情熱と選手を厳しく育てるという思いの方が勝っていたということではないかと感じています。でないと、こんなに多くの弔問客を動員することはなかったでしょうから…。

私達親子にとっても、このチームに聴覚障害者としての息子を快く受け入れてくれた恩人。単なる夢や空想ではなく、本格的に野球に取り組める環境を与えてくれたことへの恩義と信頼があったという事実を疑う余地はありません。

記憶に残るM監督とのエピソード

前述のように、多少問題あり気質のM監督ではあったものの、私たち親子にとっては忘られない監督とのエピソードがあります。

それは、上級生が卒部して、息子たちがメインのチーム作りをしていく時期になり、監督から背番号を配布される選手たちにとって緊張する場面での出来事です。

背番号はキャプテン、そして1番から順に渡されていきます。所属リーグでは、キャプテンは「10番」という固定のルールがありました。

10番→キャプテン(Sくん)
1番→エースピッチャー(Mくん)
2番→キャッチャー(Nくん)
3番→ファースト(Kくん)





10番は前述の通りなので、11番からが控えの選手になります。息子は普段から2番手ピッチャーとして登板することが多かったので、誰もが11番だろうと思っていました。当然私も本人も…。

しかし、11番は3番手ピッチャー、12番は4番手ピッチャー、13,14,15番…、と配られ、なかなか息子の番はまわってこなかったそうです…。

そして、
「18番 U(息子の名前)!」
そして、監督は息子にこう告げたそうです。(息子から聞いた話を元に、私が推測してのものですが…。)

「お前は2番手じゃなくて、もう一人のエース!だからこの番号だ(笑)!」

その時、聴覚障害者である息子には、M監督の言っている言葉も、この番号が何を意味するのかものわかりませんでした。(ゆっくり話してくれる分、なんとなく悪い番号ではないというは感じたようです。)

でも、あとでチームメートが「お~、裏エースじゃん!」といってはやし立てられ、息子本人もわかったようなわからない状態だったようです。

それから息子が半べそ顔で帰宅し、すぐさま私に

お父さん、裏エースって何?、この番号はいいの?

と受け取った背番号を見せて不安そうに聞いてきました。
もちろん私はすぐに理解しました!監督の粋な計らいが…。
思わず目頭が熱くなり、涙がこぼれてきました。息子ではなく私がです…(苦笑)。

お~、良かったな…U!(泣)

そして、こう息子に伝えました。

巨人の桑田や西武の松坂の背番号は何番だい?!

18番…。

息子は、「あれっ…」という顔をして答えました。

そうだ18番だ。プロ野球選手がつけるエースナンバーは18番だよな!

だから監督は、エースナンバー「1」は2つやれないから、「18」をお前に与えて、お前もエースなんだよ!ガンバレって言ってくれたんだと思う…、と。
私から解説を受けた、そのときの息子の満面の笑顔が、いまでも忘れられません。

息子はそれから幾度となく勝ち投手になり、チームの躍進にも、高校進学にも弾みをつけていきました。そして成人した今でも、息子はこのエピソードを誇りとして、背番号「18」を背に草野球のエースとして頑張っています(爆)!

チームの卒部式で恒例となっている演出で、監督が作詞した「サライ」の替え歌を、在部生とその保護者が互いに手を合わせ、アーチを作って歌いながら卒部生とその保護者を送り出す、という儀式がありました。

サライの歌詞のように、桜吹雪の舞い散る時期、卒部した子供たちがさらに上の頂に向かって(甲子園・プロ野球)に大志をもって突き進んで欲しい、との思いをもって綴られた替え歌だったと記憶しています。

そんな、M監督への「弔いと回向の想い」をもって、この曲で締めたいと思います…。

 

 

「M監督、有り難うございました…。」

 

 

 

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